プーさんとその仲間たちの楽しい会話

クリストファー・ロビン、プー、ピグレットがこんな楽しい会話をしています。

ヘファランプは架空の動物なので、誰も見たことはありません。それなのにこの3人はあたかも見たことがあるように、話を進めていますよ。

クリストファー・ロビン
I saw a Heffalump today, Piglet.
ピグレット、今日ヘファランプを見たよ。

ピグレット
What was it doing?
何してた?

クリストファー・ロビン
Just lumping along, I don't think it saw me.
ゆっくり歩いてた。向こうがボクに気付いたとは思わない。

ピグレット
I saw one once, at least, I think I did, only perhaps it wasn't.
ボクも一度見たことがあるよ。少なくとも見たと思う。ただ、そうじゃなかったかもしれない。

プー
So did I.
ボクも見たよ。

(プーはヘファランプがどういうものかと考えています。)

クリストファー・ロビン
You don't often see them.
そんなにしょっちゅうは見ないよ。

ピグレット
Not now.
最近見ないね。

プー
Not at this time of year.
1年のこの時期は見かけないね。

プーさんのやさしい英会話

くまのプーさん(原題:Winnie-the-Pooh)とプー横丁の家(原題:The House At Pooh Corner)には、上のような楽しい会話が随所にでてきます。

プーさんとその仲間たちの会話で子供の頃に戻ってみませんか。

プーさんの物語は、プーさんとその仲間たちが日常で繰り広げる行動が語られます。

時には「ありえない」と思われるようなことも、自然に受け入れていけば、誰でも納得してしまうエンディングが待っています。

会話の1コマ、1コマがほのぼのとして、純粋で、思いやりがあり、何よりもユーモアにあふれています。

大人になって忘れてしまったものを思い出させてくれるので、何度でも読み返したくなります。

くまのプーさん(原題:Winnie-the-Pooh)を読む

『くまのプーさん (原題:Winnie-the-Pooh)』 は1926年、ミルンが44歳の時に書かれました。

プーさんと森の仲間たちとの日常が10のエピソードとして語られます。

どのエピソードも優しさとユーモアにあふれ、子供から大人まで楽しめます。

風船につかまって、高い木の上にある「はちみつ」を取ろうとしたり、

自分の足あとを「ウーズル」だと思って林の周りを回ったり、

イーヨーの尻尾をアウルが家のドアひもに使っていたり、

「ヘファランプ」という架空の動物を捕えようとしたり、

川に棒を投げて誰の棒が一番早く流れるかを競ったり・・・

プーさんとその仲間たちが繰り広げる行動はすべて、私たちが忘れてしまっている「子供の世界」です。

だから、プーさんの物語は、私たちをノスタルジックにしてくれ、「人生において大切なものは何か」を教えてくれるのです。

>プー横丁の家(原題:The House At Pooh Corner)を読む

『プー横丁の家 (原題:The House At Pooh Corner)』は2年後の1928年に書かれ、同じく10のエピソードで成り立っています。

特に最後の章はとても感動的で、きっと読んだ人の心をとらえることでしょう。

クリストファー・ロビンは最後の章で、「何もしないこと」をしたい、と言っています。「何しに行くの?」と聞かれて、「別に何も。」と、答えるような ー

でも、クリストファー・ロビンは、学校に行く年齢になって、「何かをしなければならない」大人の世界に入っていくことになります。だから

「何もしない」ことをするために、時々この「魔法の森」で会ってほしいと、プーにたのみます。プーや、その仲間たちは永遠に「子供の世界」にいても、クリストファー・ロビンは着実に年を取っていたのです。

プーさんの物語は、クリストファー・ロビンが「大人の世界」に旅立つことで「終わり」を向かえますが、「100エーカーの森」で繰り広げられた物語はいつまでも心の中で生き続けることでしょう。

やさしい英文法

「Winnie-the-Pooh」や「The House At Pooh Corner」が読める程度の「文法」をまとめてみました。

適当に思いついたものから順次、記事にしていたら、私たち日本人には結構「理解しがたい」部分があることに気付きました。

「文法書」のように、きちんとしたものではなく、本当に「思いつき」で書いていますので、間違いも多々あると思います。

悪しからず・・・